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県立斐太実業高校建築家卒業後飛騨建設入社。高山三之町の修景事業、高山陣屋の復元作業等に従事。「平成の祭屋台」制作では、企画・設計・施工管理を担当。現在、高山市内に中田建築工房を主宰。日本各地の工業高校などで現場指導なども行なっている。

「伝統技術を持った職人は、一匹狼的な世界が強く、独自の技術を後世に伝えるという流れは少なく、弟子が習得してそこからまた独立するというパターンが殆どです。平成の祭屋台の仕事は、我々の意匠感覚を軸に、大工、彫刻、金具、塗り、織り、からくりなど、伝統性を抱える異質の分野の職人が、現在ある技術を最大限に発揮しながら、プロジェクト感覚で取り組める、お互いが切磋琢磨できる挑戦でした。
例えば、飾金具や彫刻のように、一人の職人がコツコツと仕事をこなし、気の遠くなるような時間の積み重ねから生まれるモノもあれば、大工仕事や塗り、輪締めなど、いくつもの分業工程を経て生み出されるモノもあります。技を継承しているのは工房や町工場であったり、老舗と呼ばれる伝統美術工芸会社であったりします。
しかし、どの分野にも言えるのは、作業を支えている道具や機械は便利になろうとも、結局は"人の手"がつくる、ということです。そして、技術という世界は、それを維持することそのものが、大きなエネルギーを要するということです。平成の祭山車が無事完成したことを誇りに思い、この技術が後世に残ることを願ってやみません」。


京都と高山で大工の基礎を学ぶ。高名な宮大工であった父忠次郎の跡を32歳で継ぎ、日本各地の山車・屋台の修復、社寺建築に手腕を発揮。高山市屋台修理技術者認定。高山市文化財審議委員としても活躍。平成8年岐阜の名匠知事表彰、同9年卓越技能者知事表彰等多数。現在、若い大工を育成しながら八野大工代表取締役社長を務める。

「職人を育てるのはいい仕事に出会うことだと思う。ここに結集した職人は、その道70年の現役職人から、家業を継いだ者、独自の技術を身につけた者、弟子入りした者と実に様々。しかし皆、自らの仕事を誇りとする心意気には共通するものがあります。
宮大工には特別な資格というのはありませんが、大工になって一番最初に行なう修行が刃物を磨ぐこと、道具をどう使いこなすか。例えば、カンナひとつをとっても湿気の多い時のカンナ、空気が乾燥している時のカンナがある。道具も木も生き物ですから、それにどう対応していくかで大工の技量が図られます。
平成の祭屋台で目標としたのは、一台ごとに計画された特徴が前面に出るものではなく、自然な姿で生きているという感じ。すっきりキレイな仕上がりを目指しました。
木工技術というのは、ある意味では完成されてしまっている感じはしますが、技術の組み合わせによっては、まだ新しいことへの可能性も残されています。この世界にいれば常に新しい事への挑戦ができるなと。幸い先人が培ってくれた『飛騨の匠』というブランドがあることに感謝しながら、今後もその名に恥じない仕事をしていきたい」。


秋田県生まれ。秋田公立美術短期大学卒業後、北海道でアイヌの木彫りを学ぶ。富山県井波で修行後、石川県寺井町で独立。主に仏像と社寺彫刻を手がけ、独自の力感と繊細な曲線に特徴がある。

「感性やイメージより、写実性、具象を重んじる。気持ちを無にして彫る」



新名隆太郎、この道一筋73年、88歳にして今なお現役の鍛冶職人。高山屋台修理技術者、平成3年岐阜県卓越技能者知事表彰。岐阜県高山市在住化粧鉄金具。

「鍛冶は手で扱う根気仕事、良い仕事には"品"がある。骨、折らないけません」

新名清雄、学校卒業後12年間鉄工所にて修行を積む。その後4代目として家業を継ぐ。高山市屋台修理技術書認定.140年の歴史を持つ鍛冶屋を守り続けている。

「鉄は熱いうちに打て!といいますが、人の夢にも通じるものがある気がします」。



祭山車の車輪に鉄を巻きつける「輪締め」技術の第一人者。学校卒業後、高山市の林鍛冶に弟子入り。日本全国の御所車・板車の修理復元を手がける。高山市屋台修理技術者に認定。平成5年岐阜県卓越技能知事表彰。

「長年の経験と勘をいかして丈夫な車締めを造りあげる。火が命」。



安川弥吉、富山県高岡市生まれ。神社、仏閣、仏壇の飾金具一筋に、この道80年、高岡伝統産業技術功労者として表彰される。加賀藩主・前田利家の時代から代々家業を守り、その技術を後世にも伝えた"彫金の開祖"といわれる。

安川保憲、会社勤めを経て、22歳から父弥吉のもとで職人としての腕を磨く。33歳の若さで高岡伝統産業優秀技術者に認定される。富山県高岡市在住鋳物彫金師。


「浮かし彫りは"裏"から考え、地道にコツコツ2千枚手でつくりあげる」。



高山市生まれ。学校卒業後、先代の野川漆工所に弟子入り、6年後に独立。襖や障子、建具の塗り仕事をする傍ら祭屋台の修復・制作の塗りを担当。黒に対して華やかな朱色、"色気"のある色を独特の技術でかもしだす。その塗りの確かさには専門家の間でも定評がある。高山市屋台修理技術者に認定。岐阜県卓越技能知事表彰。戸谷漆工所主催。

「後世に残る生のある仕事をする。長年この仕事をしながら、助けられることの嬉しさ、また助けあえる事の喜びを、いつまでも忘れてはいけないと思う」。



輪島塗の下地塗師として修行を積み、平成8年に本社工場長に抜擢。
石川県輪島市大向高洲堂。堅牢にして優美な輪島塗は国の重要無形文化財に指定。


「八野工房で仕上げられた台輪や柱、屋根などの部材を、逐次輪島に運び込み、あえて現地で漆塗り作業をすませる段取りを選んだため、輪島塗の工程は特に大変でした。本当は、塗らなくてもよいところまで漆をかけた。普通の仕事の2倍の工程(数百工程)をかけ、職人一人一人が覚悟のうえの気の抜けない仕事、やりがいのある仕事をさせてもらいました」。



創業160年のこだわりとプライドにかけて制作する見送り幕と胴幕。制作当時、川島織物美術工芸織物美術工芸部チームリーダー・芝原功44歳。

「川島織物にとって、屋台の幕づくりは、売上高全体のわずか1%程度にすぎません。手間暇かかるし、1日わずか1センチ半、やれる職人も限られています。どっちかというたら成長が期待できない分野です。しかし、ええもんをつくる為には、数十人の職人と時間を平気で投入します。それが、当社の伝統みたいなもんです。金時台の見送り幕、胴幕は、当社デザイン研究所主席デザイナー(当時)の小向晴繁が、下絵・色出しを手がけ、中国の蘇洲市と杭州で織り上げました。この仕事は、文化性を重視し、中国の刺繍技術と日本の織り技術の総力を結集した"傑作"です」。

中国側職人「技の根源は人間の魂。それを後世の人に伝えたい。私達がつくるのは"作品"ではなく百年は持つ"最高傑作"です」。



金時台のからくりを手がけたのは、八代目萬屋仁兵衛。人間に似た動きをするからくり人形は江戸時代に生まれたといわれる。平成の祭屋台に取り付けられたからくり人形は、八代目萬屋庄兵衛を継承した萬屋仁兵衛の遺作となった。萬屋仁兵衛が2年かけて構想を考え、編曲を終え、最後の仕上げの色彩をするばかりのところで癌で他界。45歳の生涯をとじた。その後の仕事は長男の萬屋文造が受け継いでいる。

生前の萬屋仁兵衛「伝統も大事だけれど、現代とマッチしなければいけない。からくりは現代に生きる"科学人形"だと思う。確かに昔ながらのものじゃないとダメなものもある。江戸時代のものをそのまま守っていくのではなく、現代にどうやって人形が生きていくのかということが大切なんです」。萬屋仁兵衛にとって、平成の祭屋台のからくり人形は、人形を"後世"に生かす架け橋となった。

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